【ギャラリー】作家が表現を模索する場所〈スペース・ユー〉

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 作家や作品を知ることで、現代アートを身近に感じ、あなたのお気に入りの作品に出会えるご提案をしています。

お家に現代アート作品を飾り、日常にアートを取り入れる楽しさをお伝えできればと思っています。

 今回は、群馬県館林市にあった【スペース・ユー】というギャラリーに焦点を当てます。

地方都市での現代アート活動

 1990年代、群馬、栃木、茨城、埼玉各県において現代美術を扱うギャラリーは少なく、発表場所は限られていた。

当時、同地域に住んでいた私にとって、美術の情報は少なく、現代アートについて無知であった。

作家が作品を作り、表現するには、鑑賞者と鑑賞できる場所が必要だ。

それが十分でない状況の中、作家はどんな思いでいたのだろう?

どんな思いで作品を作っていたのだろう?

スペース・ユーでは展示だけでなく、ライブコンサート、詩の朗読、舞踊等を足利市のジャズ喫茶と連動させるイベントや、「木術界」桜との意識の交換をテーマとするアートキャンプなど、実行委員会を作り、作家達が企画していた。

幸運にも10代の頃、私はスペース・ユーと関わりを持つ様になった。

ギャラリーで働いた経験や、今の現代アート作家の現状を知ると共に、スペース・ユーが作家や地域にとってどのような影響を生んでいたのか知りたくなった。

そこで、今回掲載する【スペース・ユー】について振り返るに至った。

スペース・ユーについて

「スペース・ユー」は、群馬県館林市内で1991年から2008年まで、美術家が運営する非営利の「アーティスト・ラン・スペース」として活動していたギャラリーだ。

館林の住宅地に不思議なギャラリーの誕生

 私自身は高校時代から通い出し、展示を鑑賞したり、そこで出会った方々とデッサン会をしたり、木術界というアートキャンプに参加したりと、有意義な時間を過ごした。

当時住んでいた家の近所ということもあり、興味津々で惹き込まれていったが、ご近所の方からは不思議な場所と、遠巻きに構えられていた。

しかしそこは、現代アートを知らない私でも居心地良く迎えてくれる空間で、脳に刺激的な展示が毎週あった。

当時はそこに存在していることが当たり前で、考えもしなかったが、今思うと貴重な場所であったと感じている。

どうして何もない所(駅から遠く離れた住宅地)に現代アートギャラリーが誕生したのか?

そこで、オーナーの和田文江さんに話を聞き、スペース・ユーについて経緯や方向性を知ることが出来た。

 和田さんは、草月流いけばなと陶芸を行なっていた。陶芸家、小川精一氏の生徒として館林市内で「陶芸工房おがわ」に通っていたことが、この先の様々な縁に繋がっていく。

スペース・ユーは、平家の一軒家に展示スペース(箱の様な空間)をくっつけた作り。

陶芸工房で知り合った方が引越し、空き家になった場所をいけばなや陶芸の材料置き場として購入し、展示スペースになる空間は増設している。

材料置き場と考えていたので、窓はなく、何もない空間。

それは、暗室にもなり、真っ暗な展示という形で展覧会を開催した作家もいた。

陶芸工房では、長重之さんやタカユキオバナさんなど、現代美術家達との出会いもあり、作家は展示場所があまりに少なく、発表の場に困っている事などを知る。

そこで、「模索する場所」として、使用料(1日2,000円、1週間1万円)で意欲的に芸術に取り組んでいる人へ提供することになったそうだ。

コーヒー侑

 1991年に始まったSPACE・uでは、現代アート、陶芸、いけばな等、幅広い表現者達が模索の展示を試みている。

私は手作り家具の展覧会で、小さな机を購入し、今も大事に使用している。

 1994年、喫茶コーナー「コーヒー侑」を併設。

和田さんは、東京までコーヒーを習いに行き、本格的なコーヒーを提供し始めた。

現代美術に馴染みのない人たちにも気軽に立ち寄ってもらおうとの考えからだ。

同じ頃、和田さんは常時在廊する様になる。それまで、企画運営は、和田さんに加え、小川精一さん、長重之さん、タカユキオバナさんが担当し、展示期間は、お貸しした作家に全てを任せていたそうだ。

私が訪れ始めたのはこの時期、展示スペースに直接入らなくても、喫茶コーナーから入り、展示スペースに行けるので、とても入りやすかった。

喫茶コーナーにも展示してあるので、そちらも楽しめる。

平面、立体、インスタレーション、写真、言葉、詩、さまざまな展示があった。

私には、よくわからない展示もあったが、展示や作品について喫茶コーナーで話が盛り上がることも多く、安心してよくわからないまま見ることができた。

このように、さまざまなものを受け入れる器の大きさが、魅力の1つだったとも言える。

また、都市でもなく駅からも遠いこの場所は、必然的に【スペース・ユー】の展覧会を見るためだけに来る方が多い。

時間をかけて見に来るからこそ、しっかり鑑賞し、展覧会やその空間を楽しもうとする雰囲気が濃密だった。

模索する場所

 1900年代、北関東の現代アート作家にとって「模索する場所」として、このスペースがあったことが、今の彼らの活動に影響していると、和田さんは、作家から言われることがよくあるそうだ。

北関東だけでなく、各地から作家は訪れていたようで、展覧会予定は常に埋まっていた。宣伝しなくても人が人を呼び、作品が人を呼ぶのだと感じた。

 ギャラリーとして、採算は取れていたのかも伺ったが、持ち家だから維持は大変じゃないとの事。

維持にのみ採算が合えば継続できる、ということは、生活の基盤が他にありギャラリーからの収入を生活にあてなくていい場合だ。

これが、一般的なギャラリー経営が難しい実状であると考えられる。

ギャラリー経営が仕事である場合、売上を考える必要がある。場所代、作品の売買などから一定の額を毎月、収入として考えながら運営していく。収支をコントロールできなければ、継続は不可能だ。

SPACE・uが「模索する場所」として成り立っていたのは、その様な背景があったと分かった。

だから作家は純粋な現代アートの表現を模索することができ、鑑賞者はその世界観を見ることが出来たのだろう。

和田さんは、展覧会で購入した作品を自宅で楽しんでいる。

交流のある作家さんが訪ねて来る時は、部屋中に作品を置いてある場所で話に花を咲かせているそうだ。

それぞれの作品に思い出があり、しまっておくより飾って楽しむほうがいい!

その場を楽しむ、作品を楽しむ、人を楽しむ方だからこそ成り立っていたのだろう。

DE アートは、SNSでの展開を「模索中」である。表現を模索したい時、すでにその場所はない。

北関東の作家達と同様に、私にとっても貴重なギャラリーであった。

2000年からの変化

 【資料ースペース・ユー活動記録(1991−2008) 田中龍也・編】によると、2000年からSPACE・u オーナー和田文江さんは親族の介護のため、ギャラリーの企画運営をタカユキオバナさんに一任した。

ギャラリー名を「SPACE-∪」(本来 ∪ に一本線が中蓋のように入るが、文字として表記できない為、∪と表記する)に、「コーヒー侑」を「SPACE-侑」に改名。

「∪」は、祝詞を入れる「器」を意味する。

利用案内には「SPACE-∪」 はそれぞれの個人がその心底深く旅をして、そこで見つけた名状しがたい何かを持ち寄り、交換する場として21世紀を歩み出したいと考えております」とある。(使用料金は6日単位で25,000円)

それぞれが「みつけた」ものを持ち寄って、出会い、与え合う場としてギャラリーを規定しており、そこではアートであるか否か、アーティストであるか否かは問題とされない。ここでは全ての人がアーティストになり得る。こうしてSPACE-∪ は、既存の枠にはまらないアートの形を提示し、アーティストと観覧者の垣根を取り払い、多くの表現者を生み出し育てていくことになった。

2008年、タカユキオバナさんは母親の介護のためSPACE-∪を閉廊した。とある。

 この頃、私は引越しのため頻繁に通えなくなり、2000年から2008年までの活動は残念ながら見る機会があまりなかった。しかし、参考資料による数々の展覧会名から、精神性の高い表現の場であったことが伺える。

今回の記事は、和田文江さんへの取材と参照資料より作成した。

参照資料

2012年群馬県立館林美術館「館林ジャンクション」より

資料ースペース・ユー活動記録(1991−2008) 田中龍也・編

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

作品との良い出会いを!

DEアートでした。

文章が長くなりましたので、英訳は次回掲載いたします。

Photo by Arnaud Weyts on Unsplash

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